三河線(碧南から吉良吉田)の廃線に思いを馳せる
随分と久しぶりですが、ブログを書きます。
名鉄三河線は、名鉄の前身の一つ三河鉄道により、1928年に吉良吉田〜西中金間が開通しました。
その西中金より先足助への延伸も計画されましたが、恐慌や戦争により頓挫。
2004年には両端の一部区間が廃止になりました。
現在は山線と呼ばれる、猿投〜知立駅間及び海線と呼ばれる知立〜碧南駅間の路線として知られています。
山線区間の廃線跡に関しては、山間部の地帯であることもあり線路もほぼそのまま残されていますが、対する海線区間は公園としての整備や、宅地開発が進められ、ここ数年で痕跡はほとんど見られなくなってしまいました。
2018年頃に訪問した際の写真がありましたので、記録として残しておきます。

まずは吉良吉田駅から一駅目、松木島駅跡です。
駅舎のように見える建物はデイサービスだったかと思います。
かつてこの駅は三河鉄道社長であった神谷氏の自宅が近くにあったため、駅名も神谷、コンクリート造の立派な駅舎がありました。

写真のスロープが駅舎への入口だったようです。
今は駐車場となってしまい、痕跡はありません。
次は三河一色駅跡です。

こちらの駅もプラットフォームが残されていました。


駅前にはかつては栄えたであろう商店街のような雰囲気があり、物悲しさを感じさせます。
次は西一色駅跡です。


こちらの駅は住宅地にあり、利用者もそこそこいたのではないかと思われます。

こちらも今は残っていません。
次は寺津駅跡です。

かなり暗くなってしまいわかりづらいですが、ホームが残っていました。

少し離れた場所にも薄いホーム?のようなものがありました。
おそらく貨物ホームだったと思われますが、わかる方がいたら教えて下さい。
この近くには県道との交差のため作られ数年でお役御免となった寺津高架橋があります。
次は三河楠駅跡ですが、当時ほぼ痕跡が残っていませんでした。

次は日を改めて三河平坂駅になります。



こちらは住宅街にある割には、プラットホーム、ワンマン運転用のミラー、駅名標の枠など多くが残されていました。
かつては平坂港まで平坂支線という別の路線もありましたが、1960年に廃止となっています。
こちらの駅跡も現存していません。
この先にも中畑駅、および碧南市内にも駅がありましたが、前者は企業の駐車場、後者は碧南レールパークとして整備され痕跡がなかったため、載せていません。
私はこの路線に現役の際乗ったことはありませんでしたが、地方にもかつては隅々まで鉄道があったことを思い起こさせてくれました。
現在は元々三河線の一部でありながら、西尾線と一体となり生き残った蒲郡線が存廃の危機に瀕しています。
人口減少の昨今こういった路線を残すのは難しいと思いますが、ここに鉄道があったことを一人でも多くの人が覚えていてくれたらと思うばかりです。
舞鶴への旅①
ふと思い立って舞鶴(京都府)へ、一泊二日旅行へ行きました。


まず行ったのは中舞鶴駅跡。
かつて東舞鶴駅から分岐していた中舞鶴線の終着駅で、
蒸気機関車が保存されていました。

近くには東郷平八郎の住んでいた邸宅もあります。
が、限られた期間しか公開していないそうです。

次に行ったのは赤レンガ博物館。
レンガの作り方、歴史など幅広く学べます。


その周辺には旧海軍関連のれんが建物が多く存在しており、ショップになっていたりなど、観光スポットとなっています。


そして今回のメイン、北吸隧道です。
先程の中舞鶴線の中間地点に存在したトンネルで、現在は前後が遊歩道となっています。
東門と言う駅もあったみたいです。
この日はGATEWAY MAIZURUというホステルに宿泊しました。
ドミトリーを予約していましたが、ご厚意で個室にしていただけました。感謝です。
その②に続きます。
記録兼ブログやります
はじめまして。
今更ながらブログを始めるものです。
現在社会人2年目でして、なにか始めたいと思い、古いものを見る趣味や旅行記などを記録して、発信していきます。
それでは今後お願いします。